ミレーを中心に、他に6人の現役及び初心の画家たちが写っている写真を物語る
1845〜6年のミレー自画像 . |
発見した「写真」の人物 . |
1855〜60年のミレー肖像写真 ナダール撮影、© Photo RMN |
カタログ表紙 |
ナダール写真展のカタログによると、写真原板は喪失しているとあり、撮影時期は1855〜60年と推定され、現存するネガは息子ポールによるネガから起こしたネガで、展覧会に展示されている写真はそのネガによるポジ写真とありました。又、カタログ序文に、ボナとカリエールとミレー( 3人とも19世紀後半のフランスの画家です )のオリジナルネガだけが欠けているとあり、それら写真の詳細を調べると、ボナの写真は1885〜87年にボナのアトリエで撮影され、カリエールは1906年の臨終の写真で、臭化ゼラチン乾板写真のネガから起こしたネガによる写真とあります(1871年イギリス人マドックスが臭化ゼラチン乾板を発明)。しかし、ミレーは他の著名人肖像写真と同じにナダールの写真スタジオで撮影され、年代と解説からオリジナルはコロディオン湿板写真であることがわかります。 |
© Photo RMN |
オルセー美術館所蔵の紙に焼かれた写真には独特のナダールのサインがあり、下にサン・ラザール113番地、その下にミレーと書かれています。この番地はナダールの最初の写真スタジオがあった場所で、1854〜60年までの住所と確認されています。従って、オルセー美術館所蔵の紙に焼き付けられたポジ写真は間違いなくナダール本人が現像したものと断定できます。 それにしても、ひとり息子ポールに相続された、ナダールの写真スタジオで撮影された十九世紀の著名人の他のコロディオン湿板写真原板(ガラスネガ)はきちんと保管されているのに、何故ミレーの写真原板(オリジナルネガ)だけが存在しないのでしょうか? 唯一、それだけが、気になります。 |
当時の技術が未熟なため、紙に焼く際仕上がりを鮮明にするのに一般的な方法であったとあり、当時はガラスは高価なため、紙焼きした後に画像を削ってガラスを再利用したので、修整が確認された例は珍しいと書かれています。写真発祥国フランスでは修整技術もそれなりに開発されていたと思われますが、写真家各自の機密事項として文献にも残らず、また、写真機材の進歩に伴い、急速に修整技術は不用になって行き、今日では研究対象にもならないのでしょう。今回の長崎の発見は、たまたま著名な坂本竜馬の写真なので新聞記事になり知ることができました。ここで重要なのは、修整が一般的に行われていたことを示唆していることです。上野彦馬は蘭書から写真術を習得していますが、細かい修整方法が蘭書に書かれていたとは思えないので、手探りで独自の方法を探したと思いますが、ネガを修整して仕上がりを鮮明にするなどの解説はあったかもしれません。修整がナダールと同じ方法だったとは思えませんし、それがそのまま、ナダールのミレーの写真の修整の証拠にはなりませんが、当時の技術では必要性があり、充分にありうることを示唆しています。 |
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© Photo RMN |
原板が喪失した理由を修整に結び付けた推理をしましたが、感光紙に焼き付けられたナダールの撮影の肖像写真をもう一度よく見てください。 もじゃもじゃのひげの自然さに比べ、後頭部側面、耳半ばまでの後背と髪の稜線に不自然さを感じないでしょうか? 耳近くの髪の毛の乱れを修整したときに髪に半分隠れていた耳の形を見誤り、耳が半分で切れたように見えてしまうような修整をしまったという分析が一番妥当と思われますが、いかが思われますか? |
© Photo RMN
自画像デッサン反転画像 . |
左寄りに重ねました。 |
右寄りに重ねました。 |
「写真」の人物 |